ふれあいファーム三ヶ村とは

新潟県十日町市にある 標高350mほどの里山に三ヶ村(さんがむら)はあります。 にほんむかし話にでてくるような 変わるがわる四季の表情と 里山の暮らしとともに 農業をいとなんでいるのが 「ふれあいファーム三ヶ村」です。

ふれあいファームについて|Products

ふれあいファーム三ヶ村では、自然環境と共存しながら農業を営むために 農薬、化学肥料を最大限に減らしながらお米作りをしています。 こどもたちに安心してお米を食べてもらえることを想像しながら 商品提供にこだわっていきます。

私たちの理念

「地球のうらがわの人も、笑顔になれる農業を」これがわたしたちの理念です。
肥料を使うときに考えます。稲にはいいけど、他の環境にとっていいことなのか。農業の工程のちいさな積み重ねが、世界のうらがわにとってどんな影響を及ぼすのか考えながら農業を行うことが、結果として目の前の光景を大事にすることだと考えています。
お米をつくるためには、土、水、太陽、空気、微生物、田んぼの畦を守る草など、ほとんどのものが自然のものであり、それぞれのバランスでお米づくりが成り立っています。そのバランスは、世界のうらがわの出来事で簡単に崩れてしまいます。つまり世界の裏側の出来事は自分たちに返ってくること。自分たちの影響は世界の裏側にひびくこと。
遠いように感じて、すべてがつながっています。地球の裏側の人たちも笑顔になれることは、自分たちも笑顔になれること。そんな想いのもと自然環境のバランスに気をつけながら農業をおこなっていきます。

無農薬について

1950年代頃のお話です。当時の農薬は、田んぼにおたまじゃくしが浮いてくるくらいの強力な力がありました。今の時代では、農薬メーカーも向上し、人や、生き物に害が少ない農薬が多いです。そういった技術の進歩があっても、わたしたちが無農薬を選んでいるには訳があります。
害が少ない農薬でも、稲以外の草が枯れ、稲をかじる虫が死んでいきます。技術の進歩があったとはいえ「生き物を不必要に殺す必要があるのだろうか」と農薬を使うときに感じました。ふと、こどもたちを見てみると、田んぼに住む生き物たちとあそんでいました。この姿をみたとき、「生き物たちと共存できるよう、無農薬でのお米づくりに挑戦していこう」と思い立ちました。無農薬でのお米づくりは大変ですが、身体にも環境にもやさしい米づくりを続けていき、年々無農薬での稲作の面積を拡大しています。

ヤギについて

「誰のためにお米をつくっているんだろう?」農業をはじめた時から思っていた疑問です。食べる人の顔が思い浮かばず、「栽培方法」に関しての満足度を高めていた時代がありました。ある時のことです。子どもたちに「おいしいごはん」は何かという話の中に出てきたのが「あの田んぼでつくっているから」「稲刈りのおてつだいをしたから」などお米のおいしさは「お米にまつわる体験」がひも付いていました。
そんな出来事から「子どもたちに食べてもらう+体験=心に残るおいしさ」ということを感じてもらいたいという思うようになりました。この三ヶ村に来て、お米づくりにまつわる体験にふれてみて欲しい。「おいしさがもっと伝わるように」という想いから、子どもたちに興味をもってもらう方法が「絵本」でした。「もし、絵本の世界に逢いにいけるとしたら…」子どもも大人もワクワクするような仕掛けを絵本に詰め込みました。食べる人と、つくる人の距離を縮めていきたい。そんな願いを絵本に込めました。

ヤギのおうちについて

ふれあいファーム三ヶ村にヤギがやってきたのは、2012年くらいの時です。当時の代表だった八一さんが、農業の視察でヤギを見たとき「これからはヤギだ!」と直感で感じたのが、ヤギとの出逢いでした。その出逢いから2週間後には、三ヶ村にヤギがくることとなりました。ヤギをおむかえしたのには「田んぼの畦草を食べてもらう」という理由がありました。ところが、畦草の面積はとても広く、ヤギが草を食べる面積は限られています。おむかえした当時の理由はあまりかなわなかったヤギですが、初めての出産に立ち会った時のことです。
出産は小ヤギの前足から始まり、頭、体とするりと産まれ、2頭目も同じように産まれてきます。人がタオルで子ヤギの体をふき、母ヤギからの初乳を子ヤギに飲ませます。30分後には、小ヤギが立ち始め、自らお乳を飲もうとするのです。
そんな光景を目の当たりにすると、ヤギへの愛おしさがいっそう増し「ヤギが健康に成長するために」ヤギのエサ場として畦草があり、ヤギからの堆肥が畑の肥料になり、作物が育ちます。ヤギは人のために、人はヤギのために。今では三ヶ村の家族のような存在がヤギです。